ブラザ—軒に還る ― 菅原克己パッチワーク(1)

【ブラザ—軒】

 東一番丁、

 ブラザ—軒。

 硝子簾がキラキラ波うち、

 あたりいちめん氷を噛む音。

 死んだおやじが入ってくる。

 死んだ妹をつれて

 氷水喰べに、

 ぼくのわきへ。

 色あせたメリンスの着物。

 おできいっぱいつけた妹。

 ミルクセーキの音に、

 びっくりしながら

 細い脛だして

 椅子にずり上る。

 外は濃藍色のたなばたの夜。

 肥ったおやじは

 小さい妹をながめ、

 満足気に氷を噛み、

 ひげを拭く。

 妹は匙ですくう

 白い氷のかけら。

 ぼくも噛む

 白い氷のかけら。

 ふたりには声がない。

 ふたりにはぼくが見えない。

 おやじはひげを拭く。

 妹は氷をこぼす。

 簾はキラキラ、

 風鈴の音、

 あたりいちめん氷を噛む音。

 死者ふたり、

 つれだって帰る、

 ぼくの前を。

 小さい妹がさきに立ち、

 おやじはゆったりと。

 東一番丁、

 ブラザ—軒。

 たなばたの夜。

 キラキラ波うつ

 硝子簾の向こうの闇に。 

             (「ブラザ—軒」全)

 

ブラザ—軒は仙台にあった西洋料理の店だ。1902(明治35)年に開店。「ブラザ—軒の洋風二階建てのたたずまいは、ハイカラ好みの人気の的となり、おおいに繁盛した」※⑴。とあるから、今日はちょっとごちそうを、というときに訪れるような店だったのだろう。後には中華料理がメインとなっていったようだが、克己が家族と仙台にいた大正の頃はそんなしゃれた感じの店だった。

仙台の七夕祭りが今のように活気に満ちるのは昭和に入ってからだ。克己が父とブラザー軒に行ったであろう大正末期の頃は、華やかなものではなく、寂しいものだったようだ。※⑵ だから夜には灯りも少なくなり「濃藍色のたなばたの夜」となるのだろう。

 高田渡はインタビューに答えてこんなことを言っている。「仙台に行った時にブラザ—軒に行ってみたんですよ。戦火ですっかり焼けちゃったそうで、今はりっぱなブラザ—ビルになってる。戦前からあって、ちょっとばかり高級なレストランだったらしいけど7月7日だけ、ぶっかけ氷を出したんだって。」※⑶

 「戦火ですっかり焼けちゃった」というのは、おそらく1945(昭和20)年7月10日未明の仙台空襲のことだろう。120機以上のB29の来襲をうけ、仙台の中心部は焼け野原になった。もちろん、明治の趣を残す洋風二階建てのブラザー軒も焼けてしまった。

 高田渡は映画『タカダワタル的』でも、歌の前にこう語っている※⑷。

 「えー、「ブラザー軒」という歌があります。(中略)これは仙台、そいで、シンゲキ(進撃?)をうけて、なにもなくなったときの風景であります。ですからここに映ってるのはお化けの話です。」

 こうやってみてくると詩の中に現れてくる店は、記憶の中にだけ存在している戦火に焼かれる前の店だ。それは「おやじ」がまだ生きていて、家族がそろって生活をしていたとき大正のころの記憶に近いものだ。そう考えたとき、「ぼく」が「ふたり」と出会ったブラザー軒の輪郭が揺らいでくる。詩中のブラザー軒自身も「お化け」なのかもしれない、と。


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