ブラザ—軒に還る ― 菅原克己パッチワーク(4)

【菅原克己】

 菅原克己は1911(明治44)年に宮城県で生まれた。3才から12才で父を亡くすまで仙台で暮らし、その後は東京で暮らした。

 1930(昭和5)年、師範学校4年生のときストライキに参加している。この年前後はいろいろな学校で学生たちが声をあげ、各地でストライキが起こり、世の中に改革を求める声が満ちていたころである。同年十月二十三日の東京朝日新聞見出しには、「世相を反映するか 学校騒動時代の現出 僅か一年間に三十校の紛擾 被処分者實に六百名」※⑽とある。世の中の空気がわかる。

克己たちも、自分たちの学校に学生による自治などを求め立ち上がったが、残念ながら敗北し、四日間の拘留と拷問をうけ、多くの仲間たちとともに退学となった。その後、昭和9年には当時非合法とされていた共産党の機関誌『アカハタ』のガリ版刷りをする地下活動を経験したり、党幹部を自宅にかくまったり、そのあげく昭和十年には逮捕されて、こんどは半年ほど拘留されたりもした。

 


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