ブラザ—軒に還る ― 菅原克己パッチワーク(5)

【左翼の牧歌時代と初期叙情詩】

 自伝の「詩と現実の間」※⑾によれば、このストライキをして警察に四日間拘留されたりした昭和5~6年のころを「左翼の牧歌時代」と呼んでいる。そしてその後2年ほどのあいだに書いた詩を「初期叙情詩」と名付け特別の思いを寄せている。 その初期抒情詩の一つが「築地小劇場の帰り」※⑿である。詩中に描かれている公演は「左翼の牧歌時代」の昭和6年のもの。後日の回想によればこの詩を書いたのは昭和8年となっている。  そのときお前はいったね、  ああいう人がアカになるのだ、と。  そして  可哀そうな一生をおくってしまうのだ、と。  何にも知らないお前、  素直に育ってきて  憎んだり、争ったりしないことが  一番いいことだと思っているお前。  そういうお前に  このぼくが警察につれて行かれて  どれほど叩かれたかと教えたら  どんなに驚くことだろうか。  雑司ガ谷の、鬼子母神うらは  ほんとにお前が恐がる梟でも啼き出しそう。  その中で  お前の日和下駄が淋しい音をひきずる。  それからぼくは  さっきまで観ていた〈風の街〉のはなし、  銃殺された二六人のコミッサールのことを  話ししてきたのだが・・・。   何故、ストライキが起きるのか?  何故、労働者が資本家にたてつくのか?  それさえもわからないお前だった。  そうして、いつもの林のはずれで  お母さんによろしくというまで、  お前はただ、殺されたゴロヤンに  少女らしい同情を溢れさせていたのだ。         (「築地小劇場の帰り」全)  築地の芝居がはねたあと、少女を送って池袋雑司ヶ谷のあたりにきたとき、日はもう落ちていたのだろうか、ふくろうの鳴くような人気のない寂しいところだった。 少女にとって「アカ」は自ら不幸になっていく人の謂い。人を憎んだりするから不幸になる。みんな仲良く暮らしていけばいいのに。まじめに働いていればきっといいことがある。そんな娘の引きずっているのは「日和下駄」の「淋しい音」。世の中をかえるなんてことはきっと恐ろしいこと、考えてはいけないこと。 だから、風の街のコミッサールが意味していること、築地小劇場で新劇を見ることが意味していること。そういうことを娘はわかろうとしてくれない。 この詩について、後に菅原はこう述べている。「「築地小劇場の帰り」に出てくる娘は、他の作品「しぐれ」※⒀にも出てくる子で、太平洋戦争前に親と一緒にサイパンに行き、そこで病気になり、内地に帰って死んだ娘である。戦前の薄命な女の子の、ひ弱そうなうす手の顔にかかった髪の毛や、メリンスの元禄や、黄色い兵古帯など、当時の面影がふっと浮んでくることがある。」※⒁ 「しぐれ」は第一詩集の最初におかれており、少女によせる詩人の思いを感じる。


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